式内 多由神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内社 丹後国與謝郡 多由神社
読み 古 タユ、現 たゆ
所在地 京都府宮津市田井字石谷153-1
旧地名 丹後国與謝郡栗田郷田井村

御祭神 息長足姫尊(おきながたらしひめ のみこと)=神功皇后
例祭日 10月13日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
加佐郡(カサ):11座(大1座・小10座)
式内社

近代社格制度

創建 不詳 宝暦13年(1763)再興
本殿様式

境内摂社(祭神)

一口メモ

栗田半島北端の宮津湾側に面して位置する農漁業集落。東方の峠を越えた海岸に元田井を称する所があり、現在地に村ができる以前はここにあったとも伝える。府道栗田半島線が走る。小田宿野からこの道を通ってみたが、かなりの一台が通れる幅の山道である。式内社めぐりでもっと寂しい山道にすっかり慣れてしまっているので、天気がよく楽しんでドライブできる。ナビで見ると峠を越えたらすぐ右手に折り返しの参道があるが、通り過ぎてしまったので田井の集落側から行こうとしたが、細い道でわからないので再び引き返して着いた。

歴史・由緒等

《与謝郡誌》

栗田村字田井小字石谷、村社、祭神息長足姫命、武内宿禰、丹後旧事記に延喜式多由神社田井村代長大明神祭神代長天皇とあるも如何にや、石川村堂谷の多由山なる多由神社は式内社なりとの説もあり容易に判ずべきにあらす。宝暦十三年社殿再興、境内末社八幡社あり氏子三十戸祭十月二日,此他無格社愛宕神社、岩本ハセ谷に無格社恵美須神社等あり。
景雲山養福寺
栗田村字田井にあり。本尊薬師如来、慶長年中東浩和尚開基創建、蕪村筆五百羅漢十二幅有名なり。

「与謝郡誌」には、丹後旧事記に延喜式多由神社田井村代長大明神、祭神代長天皇とある。石川村堂谷の多由山なる多由神社は式内社なりとの説もあり容易に判ずべきにあらす。とあるが、「延喜式神名帳」には、與謝郡粟田田井字石谷のみ記されている。

境内・社叢

  
社頭左境内社                    鳥居

  
本殿覆屋


境内社

地名・地誌

宮津市の東部、栗田半島に位置し、西は宮津湾、南東は栗田湾と呼ぶ。北・東は若狭湾に面する。栗田湾に面する地域を表栗田、宮津湾・天橋立に面する地域を裏栗田と呼ぶ。

近世の栗田村は、江戸初期の村名。与謝郡のうち。村高は,「慶長郷村帳」に2,076石余。「延宝郷村帳」以降,上司村・田井村・島陰村・矢原村・獅子村・小田宿野村・中津村・脇村・新宮村・小寺村・中村の各村に村切り。地内を北国街道(巡礼街道)が貫通し、「丹哥府志」は成相坂・大内峠・栗田峠を、天橋立を眺望する「登臨三絶」と記す。

近代の栗田村は、明治22年~昭和29年の与謝郡の自治体名。田井・島陰・矢原・獅子・小田宿野・中津・脇・新宮・中・小寺の10か村と上司町が合併して成立し、旧町村名を継承した11大字を編成した。昭和29年宮津市の一部となり村名は解消。村制時の11大字は宮津市の大字に継承された。

田井は舞鶴市大浦半島の東北部にも式内笶原(ノハラ)神社、兵庫県豊岡市(旧城崎郡田結郷・田結荘)にも田結(たい)があり、同じように日本海に面した北端の漁村なので、同じ田井という地名に関係がありそうで興味があった。

地 図

京都府宮津市田井153-1

交通アクセス・周辺情報

関西電力宮津エネルギー研究所「丹後魚っ知館」

参 考

「神詣」さん、「丹後の地名地理・歴史資料集」、「神社探訪」さん、『延喜式の調査』さん

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